「科学とは何か」について

 しばらく休筆していましたが、ブログを再開することにします。また、おつきあいのほど、よろしくお願いします。

 前回のコラム(未来の科学者の「教室」 2018年6月3日掲載)では、まちがうことを恐れずに、「考え、試し、発表をする」ことが真理につながると書きました。ある疑問(課題)に対して、最初の人が、ああでもないこうでもないと考え、試して、そうして得た結論を発表したものの、いろいろ検討してみると真理ではなかった。そこで別の人が別の考え方や方法で試し、そうして別の結論を得て、それが真理だと主張する。そうやって、だんだん真理に近づいていく。逆説的ではあるけれど、まちがうからこそ真理にたどり着ける。そんな筋立てでした。

 科学(ここでいう科学とは自然科学のこと)で扱うことがらは、実証可能なことが前提条件になっています。スープを放置しておくと微生物が発生したという観察から、「微生物は自然発生をする」、という主張が導かれたとします。自然発生とは親(もとの微生物)がいなくても子(それと同じ微生物)が生まれることを言います。これに対して、スープを密閉した容器に入れておくと微生物が発生しなかったことから、その主張は誤りであることがわかります。これが反証です。この反証から、「微生物は微生物から生まれる」という新たな主張(仮説)が出されます。それに対して、密閉して酸素が不足したので微生物が生えないのだ、という反論が出されます。しかし、酸素は通すけど微生物は通れないような工夫をした容器を使い、微生物が生えることを示せば、反論を退けることができます。このようにして、自然科学は主張と実証を繰り返すことで誤りをただし、徐々に真理に近づくことができるのです。

 逆に言えば、実証不可能なことは科学で取り使うことができないということでもあります。死後の世界はあるのか、天体の運行と人の運命は連動するか、などは実証不可能なので科学では扱えないことがらです。これらのことがらを、科学的な言葉を使って説明しても、実証が本質的に不可能なのであれば、それは科学とは言えないと思います。

 昨年度のメインレクチャーで、自然科学とは何ですか、という質問が出されたことを覚えています。その時、講師の先生が何と答えたかは忘れましたが、「自然科学とは、誤りを正す仕組みが内包されている学問だ」というのが答えではないかと思います。だからこそ、科学はここまで発展したのではないでしょうか。

 ただし、ある主張が実証されるまでに相当の時間がかかることもあります。重力波は長い間アインシュタインによる理論上の存在でしたが、重力波が検出できたのは2016年。理論発表から約100年後のことでした。これは、測定機器の発展により初めて実証が可能になったからです。「自然科学は世代を跨いだ人類の長い営みだ」とも言えるようです。

M.U.