「北限の富士山」の発見について
冠雪した富士山が見られる季節になりました。夏の富士山は優雅でたおやかな趣を漂わせていますが、頂上が白く覆われた富士山には、峻厳さと神秘さを感じさせるものがあります。世界遺産にして日本が誇るこの富士山。静岡県に住む人にはとても身近な存在です。県東部では気高くも迫力ある姿を間近に見ることができます。けれど、遠く離れた県中部からだと一部しか見えません。東京からは頂上が少しだけ見えるようです。それより遠くなると、富士山はさらに小さくなり、ついには遠景の中に溶けて見えなくなってしまいます。
それでは、富士山を見ることができる北限の地はどこでしょう? 長らくわからなかったその地をついに発見、というニュースが、2017年1月の新聞で報じられました。全国紙で報じられたので、憶えている方も多いのではないでしょうか。毎日新聞の記事によると、まず、富士山が見える北限の地を予測した人がいます(毎日新聞2017年1月16日「北限の富士山 60回近く通い詰めてやっと撮影」)。日本地図センター常務理事の田代さんです。田代さんはその地点を、福島県川俣町と飯舘村の境にある花塚山だと予測したのです。富士山から308 km離れていますが、この予測が正しければ、花塚山から富士山が観測できるはずです。福島県川俣町の菅野和弘さんを中心とした三人のグループは、この予測を聞き、その証明に挑戦しました。標高916 mの花塚山へ60回近く通い詰め、とうとう富士山の写真撮影に成功したのです。これにより、富士山の見える北限が花塚山だと実証されたというのです。
2年以上前のこの話題を取り上げたのは、モデルから導かれた予測を観察結果と比較してモデルの真偽を判定するプロセスが、自然科学の研究と同じに思えたからです。しかも、モデルを立てて予想を導いた人と、観察結果を得た人が異なるというのは、自然科学の世界(現代物理学など)でよくあることです。魅力的なテーマは、人と人をつなぐ力を持っているようです。
ところで、花塚山から富士山を観察した人たちは科学者ではありません。しかし、予測を信じて粘り強く努力を重ねる姿は、科学者の研究活動と寸分も違わないと思います。発見者の一人の言葉「稜線の向こうに富士山の姿と思われる形が確認できた時は感動の一言でした」は、発見を成し遂げた科学者の持つ感動と同質のものです。
この人たちをそこまで駆り立てたものは何でしょう。好奇心や功名心でしょうか。それもあったかもしれません。でも私は、自分たちの慣れ親しんだ土地への愛着、郷土愛によるのではないかと想像します。故郷の山が富士山の見える北限の地だというのは、それだけでワクワクすることですよね。そんなワクワク感を持って難問に挑戦したのではないでしょうか。何度試してもうまくいかない時、それでもモチベーションを保つ源泉は、知(頭脳)より情(心)にあるのかもしれません。
冬の晴れた日に富士山を見るたび、当時こんな感想を持ったことを思い出します。
M.U.