探究学習って!?(中高教員向け)

【探究学習って!?(中高教員向けChatGPTエッセイ)

最近見つけた「探究学習」に関する雑誌記事(参考1-5)を基にして『中高生向けのエッセイ』『中高教員向けのエッセイ』『JST次世代人材育成事業に関わる大学関係者向けのエッセイ』を書くようChatGPTに依頼したところ、下記のようなものを作ってくれました。

ふたつめ。
中高教員向けのエッセイ

(5本の記事内容を踏まえ、中学校・高等学校の教員向けに「探究学習をどう設計し、どう支えればよいのか」を整理したエッセイです。論調は、現場の困難さに共感しながら、責任の所在を個人に押しつけず、構造的に整理することを意識しています。)とのこと

「中学校教員・高等学校教員」の当事者気分になって、読み・考えてみてください。

中高教員向けのエッセイ by ChatGPT

探究学習はなぜ疲弊を生むのか

――中学・高校教員のための「無理をしない探究」再設計――

「探究学習が大事なのはわかっている。でも正直、しんどい」
ここ数年、多くの中学・高校教員が口にする本音ではないだろうか。

「総合的な探究の時間」が必修化され、さらに大学入試改革と結びついたことで、探究学習は一気に学校現場の中心に据えられた。しかしその一方で、「探究公害」「なんちゃって探究」「大学の先生が疲れている」といった言葉がメディアやSNSに現れ、探究学習そのものが疑問視される場面も増えている。

本稿では、こうした混乱を「教員の力量不足」や「生徒の未熟さ」に還元するのではなく、制度設計と認識のズレという視点から整理し、教員にとっても持続可能な探究学習のあり方を考えたい。

探究学習をめぐる構造的ミスマッチ

現在の探究学習をめぐる混乱の多くは、次の三者の期待が噛み合っていないことに起因している。
制度(学習指導要領・入試改革)
 探究的な学びを通して「主体性・思考力・表現力」を育てたい。
学校・教員
 探究を形にし、評価し、場合によっては進路にもつなげなければならない。
生徒
 「成果を出さないといけない」「大学とつながらないと意味がない」と感じている。

この結果、探究はしばしば**「目的」ではなく「手段」になってしまう
本来は「考え続ける力」を育てるはずの探究が、「大学教員に連絡した」「社会課題を扱った」「それっぽい成果物を作った」というチェックリスト化**した活動に変質している。

「探究」と「研究」を混同していないか

大学教員や研究者が疲弊している背景には、中高段階の探究と大学の研究との混同がある。

研究とは、新規性を持つ知を生み出す営みであり、専門的訓練と倫理、時間と設備を前提とする。一方、中高の探究は本来、
・問いを立てる
・情報を整理する
・仮説的に考える
・振り返る
という認知的プロセスの学習である。

ところが、「探究=研究の簡易版」という誤解が広がることで、
「研究者に聞かなければ本物ではない」
「学会発表や論文に近いことをしないと評価されない」
といった認識が生徒にも教員にも生じている。

その結果、大学教員への無秩序な問い合わせや、教員自身の過剰な負担につながっている。

外部連携は「目的」ではなく「選択肢」

学習指導要領には「外部との連携」が明記されている。しかし、これは必須条件ではない

外部連携は、
・校内では得られない視点が必要なとき
・生徒の問いが一定程度成熟したとき
・学校として調整・仲介できる体制があるとき
に初めて教育的価値を持つ。

連携そのものが目的化すると、
・教員は窓口業務に追われ
・生徒は「聞くこと」がゴールになり
・外部人材は無償労働に疲弊する
という、誰も得をしない状況が生まれる。

むしろ、「今回は外部連携をしない」という判断を、学校として明確にすることも、質の高い探究のためには重要である。

「なんちゃって探究」が生まれる理由

「なんちゃって探究」「やらされ探究」は、個々の教員の怠慢ではなく、探究の定義と到達点が曖昧なまま導入されたことによって生じている。
・何ができれば「よい探究」なのか
・どこまでやれば十分なのか
・何をもって評価するのか

これらが共有されないまま、「探究」という言葉だけが神聖視され、形式だけが先行してしまった。

結果として、
・探究サイクルの穴埋め
・見栄えのよいスライド作成
・実態の伴わない成果アピール
が量産され、教員も「これでいいのか」という違和感を抱え続けることになる。

最大の難関は「テーマ設定」である

現場で最も時間とエネルギーを消費するのが、テーマ設定である。

よくある失敗は、
壮大すぎるテーマ(社会課題全体を解決しようとする)
矮小すぎるテーマ(調べればすぐ終わる)

この両極端を避けるために有効なのは、
「教科書・既存実験・身近な現象」を起点にすることである。

既存の内容から出発することは、決して「模倣」ではない。条件を変える、視点をずらす、比較対象を工夫することで、十分に探究的な活動になる。

教員にとっても、教科書起点の探究は指導可能性が高く、負担を抑えやすい。

基礎学力と探究は対立しない

もし、どうしても専門家に話を聞きたいときは、次のことを意識してください。
・その人の専門分野をちゃんと調べたか
・何を聞きたいのか、自分の言葉で整理できているか
・その質問は「自分で調べたうえで」出てきたものか
・相手の時間を使っている、という意識を持っているか

そして何より、「聞かなくてもできる探究はないか」を考えてみてください。探究は、誰かに答えをもらうことではありません。自分で考え続けることなのです。

探究は、将来のための「考える練習」

探究学習が進まない理由として、「基礎学力不足」が指摘されることがある。これは事実であるが、探究と基礎学力を対立させるのは誤りである。
・読解力がなければ文献は読めない
・用語理解がなければ議論は成立しない

つまり、基礎学力は探究の前提条件である。

探究の途中で教科書に戻る、知識を補うという行為も、探究の一部として肯定的に位置づける必要がある。

教員は「すべてを支える存在」でなくてよい

探究学習が教員を疲弊させる最大の要因は、「すべてを引き受けなければならない」という無言の圧力である。

大学教員が専門外の指導をしないように、中高教員にも得意・不得意がある。
専門外のテーマについて「それは難しい」「今回は扱わない」と判断することは、教育的に正当である。

無理をしないこと。
できる範囲で設計すること。
学校として線を引くこと。

それは、探究学習を続けるための責任ある判断である。

探究学習を「続けられる学び」にするために

探究学習は、本来とても豊かな学びである。しかし、制度と現場の間にあるズレを放置したままでは、教員も生徒も疲弊する。
・探究は研究ではない
・外部連携は手段であって目的ではない
・成果よりプロセスを重視する
・無理をしない設計をする

これらを学校として共有し、「できない探究」ではなく「続けられる探究」を目指すことが、今、最も求められているのではないだろうか。

探究学習は、教員の献身に依存する仕組みであってはならない。
教員が消耗しないことこそが、探究学習の質を守る第一歩なのである。

<参考>


  1. https://toyokeizai.net/articles/-/852225
    探究学習の最難関?失敗しがちな「テーマ設定」、博士号教員が語る攻略の極意 ヒントは対話や教科書に、「無理しない」も大切
    (遠藤 金吾 : 秋田県立秋田高等学校 教諭 2025/01/19 4:00)
  2. https://toyokeizai.net/articles/-/930495
    波紋を呼ぶ「探究学習の《大学教員に協力依頼》」、「学習指導要領・解説」に記載の”外部との連携”は必要か?博士号を持つ高校教員が今思うこと
    (遠藤 金吾 : 秋田県立秋田高等学校 教諭 2026/02/01 6:00)
  3. https://toyokeizai.net/articles/-/927742
    中高の探究学習で「大学の先生たち」が疲れている…なぜ?誰が悪い?”生徒、中高教員、大学の教員・研究者”の生の声に見る課題の本質
    (藤原さと : 一般社団法人こたえのない学校代表理事 2026/01/14 6:00)
  4. https://toyokeizai.net/articles/-/927742
    「なんちゃって探究」「やらされ探究」…”非本質的な探究学習”で大学の先生たちが悲鳴を上げている《大学、行政、中学・高校が協力して解決を》
    (藤原 さと : 一般社団法人こたえのない学校代表理事 2026年01月14日)
  5. https://toyokeizai.net/articles/-/930641
    「探究公害」という言葉がSNSで拡散される…高校生の探究学習が迷惑をかけているのはなぜ?協力依頼に戸惑う専門家や自治体も
    (杉浦 由美子 : ノンフィクションライター 2026/01/29 6:00)